【麒麟がくる】織田信秀のSWOT分析

デジタルマーケティングでよく使う分析手法にSWOT分析があります。

 

いきなり話が変わりますが、大河ドラマ「麒麟がくる」で疑問を持つ人はいないでしょうか?

 

そう織田信秀の力です。

 

序盤は稲葉山城に大軍で攻め込んだり、松平家の竹千代を人質にしています。

しかし10回目ぐらいになると弱体化が目立ちます。

今川に押され、竹千代を手放し、美濃と同盟を結びます。

 

これはなんでなんでしょう?

 

それをSWOT分析で解説してみました。

 

1540年頃(強かったころ)と1550年頃(勢いがないころ)では環境が大きく変わったのです。

 

まず信秀が美濃に影響力があった理由は二つあります。

一つは斎藤道三と対立するようになった土岐氏を支援したこと、もう一つは土岐氏の内紛に越前の朝倉氏が絡んでいたことです。

斎藤道三は朝倉・織田の2勢力から攻撃を受け、一度追放した土岐氏の二人を復帰させます。

その中で信秀は大垣城を支配したのです。

しかし内紛当事者の一人を斎藤道三は暗殺、一人は今後再度追放していきます。

そして内紛がないことで朝倉が手を引き、信秀を破った道三が大垣城を奪回します。

これにより美濃への影響力を失います。

 

次に今川氏の状況変化です。

今川義元は武田氏と対立し、その後北条氏と対立しています。

北条氏とは東駿河の領有権問題があったことや、関東管領上杉家との同盟があり北条と敵対していました。

しかし上杉家が弱体化したこともあり、さらに北条が武田と争っているうちに今川は東駿河を奪回しました。

その後3者の利害が一致し、今川と北条、武田に同盟が成立するのです。

最終的な同盟は1554年ですが、そこまでに流れが出来ていました。

そのことにより今川が遠江に加え、三河経営に乗り出してきたのです。

同盟をまとめた立役者であり、今川義元の後見人である太原雪斎が三河に進出することで脅威になりました。

その流れで三河を失うのです。

 

この1540年から1550年の間、織田信秀や織田家の内部には弱体化の要素はそれほどありません。

しかしそれまで機会であった美濃・三河の状況が脅威に変わったことで、一転してしまったのです。

 

そこで最初に戻りますが、デジタルマーケティングには機会・脅威という外部分析が必要で、SWOTが役立ちます。

 

織田信秀はそのような分析から斎藤道三との同盟に踏み切ったのでしょう。

 

ちなみに織田信長も影響を受けます。

斎藤義龍が斎藤道三を討つことで美濃が再度敵になります。

しかし太原雪斎が死去します。

そこから桶狭間の戦い→(遠江が乱れ、三河松平が自立)→清州同盟(東に敵がいなくなる)→斎藤義龍死後の美濃内紛(美濃が弱くなる&斎藤道三の娘婿という立場)→浅井家と同盟(美濃をけん制)→美濃侵略という流れになるのです。

 さらに一時的には武田家とも同盟を結び、足利将軍家報じて上洛となりますが、足利家と対立し武田家と対立することで窮地に落ちる。

武田家が最初織田家と組んだ理由は今川領に侵攻し北条と同盟がなくなったから。

その後再度敵対したのは北条と同盟を結び、上杉との対立も回避する流れになったため、美濃に侵攻するためです。

このように織田信長の強み弱みもありながらも外部環境の影響が大きいのです。